クルスク (Kursk)
第二次世界大戦中に独ソ両軍による大規模な戦闘(クルスクの戦い)が行われた.
近郊の村アブホーフカで、日本に縁の深い詩人、ヴァスィリー・エロシェンコが生まれ、また没した.
クルスクはデスナー川の最大の支流セイム川にクル川が流れ込むところにある. 古くよりスラブ人の要塞があったと考えられるが、クルスクの名が最初に記録に登場するのは1032年のことである. 12世紀末の人物イーゴリ・スヴャトスラヴィチ公のポロヴェツ人に対する遠征を描いた『イーゴリ軍記』にもスラブ人の町の一つとして登場している.
小さな公国(クルスク公国)の首都であったクルスクは12世紀と13世紀にはポロヴェツ人の相次ぐ攻撃で荒廃し、1237年頃にはモンゴル帝国のバトゥ率いる軍の攻撃で壊滅した. クルスクが再建されたのは遅くとも1283年頃のことである. 1508年にはモスクワ大公国に併合され、その最南部の守りを固める要地となった. クルスクはウクライナ地方とのトウモロコシ交易で栄え、クルスクの生神女修道院の城壁の下で年に一度大きな定期市が建つことでも知られた.
ソビエト連邦時代には、クルスクは付近の豊富な鉄鉱床の存在から重要視され、ロシア南西部の鉄道の中心地となった. 第二次世界大戦中にはドイツ軍と赤軍の激戦地となっている(クルスクの戦い).
クルスク州とその周辺の州は、コンパスが狂うほどのクルスク磁気異常現象 (Kursk Magnetic Anomaly:KMA) でも有名である.